人間関係に対する自分の不安をぬぐうための考察
メリークリスマスイヴなわけですが、私には彼女と通称?セフレと呼ばれる人間がいます。そこに対して、少し罪悪感を感じているわけですが、せっかくなのでそれについて少し書いてみようかと思います。
これは『明暗』の感想になるのですが、これを読んで本当に好きな人がいたとしても必ず結ばれるというわけではないと思いました。私もそのような感じはありまして、現在つきあっている彼女とは、自分がつきあってきた中でもっとも長いのですがどうも好きでいるような気がしません。それには色々理由があって、たとえばセフレや他の子と比べてしまった時にルックスや、細かな女性としての点が違って気になってしまうというのが大きな理由です。でもそれなら別れてしまえばいいのではないか・・・とも思うものの、それも自分の利益を考えると出来ない、なんともクズな人間です。
この『明暗』でも本当に好きな清子をいつも思ってしまう主人公ですが、明治期、しかも結婚しているとなるとずいぶん話しが違ってくるのだろうなと感じました。付き合いとは覚悟が全然違うからでしょう、双方とも。いや、そうなのか?
少し話しは外れて、社会学について読み直した話
読んだのはunit0社会学への招待 第四章15人生16夫婦
0社会学への招待について 社会は自分たちにとって近すぎるものであるが故に、考察するのが難しく、考察したければ意図的に距離をとるしかないというもの
また私たちの関心があまりにも個人化しており、つまり他者に対して目が向かず、自分のことしか考えていないため社会のことなど、どうでもいいと思ってしまっているから考えられないということ。
15人生 人間はコーホートと人口学の用語で呼ばれるような、出生や結婚などを同時に経験する集団に属し、それの経験を受けるというところから話が始まる。たとえば、1947~49年に生まれた団塊の世代などは60年代後半には学生運動を起こし、新しい対抗的な文化を作り出したと言われている。
人は生まれた時代や時期の影響からは逃れることができず、自分で物語を作り、それによって自分の生き方を肯定する。1920年代に生まれ、45年の終戦まで兵隊として生きねばならなかった世代は、自分を「忠孝一本」「宮本武蔵」などに例えて死を当然のものとする。など。
そして、今はそんなことはなく、私たちのライフコースは教育(子供期)、仕事(成人期)、老後(老年期)に分けられ、その課程でゆっくりと自分の人生を作り、意味づけしていくらしい。
しかし今は多様な生き方が認められており、ネオニート、デイトレーダーなどの言葉に代表されるようにマネーゲームで生きる人が現れ「積み重ね」(大卒から定年まで働く)としての人生は空疎に感じられる。と。
思ったこと・・・多様な生き方ができるようになった社会に生まれることができてよかったということ。現在、仕事は決まっていないものの、普通に就職をすることなくお金を稼ぎ、生活していくことができるかもしれないからだ。それでもよいと思っている。
そして今日、たまたま見つけた言葉の中で最も自分にとって印象的だったものがビルゲイツの「成功の鍵が何かは知らないが失敗の鍵は全ての人を喜ばせようとすることだ。」とあり、自分が全世界の人を幸せにすることはできないが、自分の周り、好きな人だけでも幸せに出来るようになったらいいなと思った。
16夫婦 ・・・ 用語について 近代社会に適合的な家族を近代家族と呼ぶ
現代のように、男は仕事に出て子や妻を養うために稼ぎ、女は仕事と家事をし、二人で相補的にしていく関係。
雑感・・・ここで冒頭の夏目漱石『明暗』とつながる部分があるのだが、夫婦という仕組みがお互いに結婚して距離を近づけていくことによって互いに安心できる場所を作っていくものだと思っていたが、仕組みとしてうまく機能しないこともある、というかそういうことが増えている気がする。
雑感
しばらくブログのように関連性のある文章を書く練習を行っていたら本当に何も、というかしっかりとした文章を書けなくなってしまった。
まんがで読破 明暗 夏目漱石 作