本を読む私、よまれる私
実際のところはわかっていない。
よく、服を着ているのではなく服に着られていると揶揄されることがある。それと同じで俺も本を読んでいるのではなく、本に読まれている、なんというか本を読んでいる姿を想像して恰好よくなっている自分を想像しているだけなのではないかなぁと思えてきた。
図書館から借りた本がもうすぐで三か月の延滞だ。自分のところに督促はこないものの、もう一つの方に度々いってしまっているようで申し訳ない。
しかしそれでも読み終わっていない本を返すのは癪というか気持ちが悪いのだ。
今でも読み切らずに返した本のことを思い出す。といっても、だからすぐに読み切ってやろうとは思わないのだけれども。自分の怠惰に関しては肯定的になって、わがままを押し通す。どうしてこうなったのだろうなぁ、なんて時々思う。
そんなことを思いながら、今はさくさくと、なだいなだ『最後のメッセージ 常識哲学』 筑摩書房を読んでいる。
隣には数日前にブックオフで買った、というか昨日だった気がするが
かばんの中にはこれまたその時に買った 関榮次『チャーチルが愛した日本』 PHP新書が入っている。これはゼミの教授がチャーチルのことを尊敬しているため、その話題について話せるようにしておきたいとの思いから。
あぁ、こうして誰が見ているわけでもないところに雑感を書き連ねることで浄化されていくものもあるのだなぁ。普段はこういうのは全部、紙の日記に記しているのだが、せっかく綺麗な環境でPCが使えるのだから、偶には。
近いうちには、なだいなだ先生の本のレビューを書きます。
原節子さん死去95歳 伝説の女優「東京物語」「晩春」
英検を活用した高校の事例
これを読んでいて思ったのが、英語はやはり話さざるをえない環境でないと身につきにくいなということ。和約を配布しないなどもそうで、英語漬けにした方がうまくいきやすいのかもしれない。
例えば大学の授業では基本的に教師が英語以外を話すことはなく、意思疎通を図るためにはどうしても英語を話さざるを得ない。その際にそれがブロークンかどうかはあまり重要ではなく、とにかく話していくことで自信が得られる。
留学していた高校生の体験談を見ていても、聞き取れるようになるまで三カ月かかり、自分の意思を相手に伝えられるようになるまでに6カ月を有したというから、そういうものなのかもしれない。
英語検定準1級 一次試験合格
実は誰にいうわけでもなく英検を受けていました。
筆者は大学四年生でいい年なのですが、英語の資格がほしかったり、当時好きだった女の子と勉強する目的もあって英検の勉強をしていました。
今日はその結果発表。正直にいってリスニングが鬼門で(実際にはそんなことはないのでしょうが、自分はあまりよく聞き取れない方)おそらく落ちたと思っていたら合格していました。
自己採点も今日したのですが、面白いことに一問目から単語の意味がわからなかった4択問題は21/25問正解しており、熟語系はすべてあっていました。
そして論理構成や内容一致もすべて正解。しっかり時間をかけていただけありました。
英作文はどうしても自分でわからなかったので不安だったのですが、点数を見てみるとこちらも10/14点とれていました。テキストや英検の公式サイトの模範解答が軒並みに格好いい英語でくだけた感じで書いてあるので少し冷や冷やしましたが、基本に忠実にわかりやすい英語で書くことを徹底した結果です。
・勉強法について
参考書マニアなので、結構買いました。といっても新品で購入したのは旺文社の英検準1級 過去6回問題集の最新版とそのCD
CDは購入したものの、初めて解いた時の正答率があまりにも悪く、前日までほとんど触れていませんでした。
あとは、2000年くらいに発売された30日dairy完成や大学で借りた2002年度版の問題集、6日完成の問題集など。とにかく多くの問題を解くことに重点を置きました。
初めて英検準1の問題を解いたのが8月の終わり頃で、その時は筆記で7割近かったのでこのままいけばと思っていましたが、どうしても最初の択一問題で単語がわからないことで結果が左右されることがあり、その対策をしました。
基本的にポケットに入るサイズのメモ帳を4~5つくらい買い、わからなかった英単語をそれに書いて「英英辞書」で意味と例文を書いていました。一問一答的に英単語と日本語を書いてもよかったのですが、それだと面白くないし、どういった文章で使われるのかをはっきりさせたかったので、英英を。更にいうと英検の文章題で本文中に使われている単語が難しく、選択肢の方でそれとは違うわかりやすい単語で書いてあることが多かったので、それの対策も兼ねました。
例えば、baitがわからなくてもfood used attract fish,animal or birds so that you can catch
例文 We used worms as bait
などとしておけば、すぐに何のことかわかります。
といってもまだ二次試験が残っているのですが、一次が合格率が低い割に、二次は大体受かるみたいなので気楽に対策しながらやっていきたいと思います。
人狼
最近、人狼というゲームをやっています。これはオンライン(スカイプや掲示板を利用したもの)、オフライン(対面)と大きく分けて二通りのやり方がありますが、今回はそのマナーについてのお話。
オンライン、オフラインのどちらにも共通していえるのですが、とにかく言葉や態度が悪い人が多い。
例えば、初対面で年齢も性別も違う相手に対して「死ね」「ふざけんな」「お前のせいで負けた」「戦犯だ」などと言う人がいるのですが、これは仲を悪くすることはあっても良くすることはないと思います。親しい間柄の人ならまだ知らず。
こういうことが時々あるので、「なぜ」こういうことが起こるのかを考えて友人と話していたのですが、原因が「目的」にあるように思えてきました。
自分やその友人はゲームを「コミュニケーションツール」としてみています。だから負けても勝っても(もちろんやるからには勝ちたいですが)笑えて楽しければそれでいいかなと思ってしまいます。
その点、本当に勝ちに拘り、自分の主張を曲げずに人に遠慮のない言葉を投げつける人たちは「ゲームで勝つこと」が目的であり、それを達成することに価値があると考えます。
もちろん、どちらに価値があるかというのは人によって異なりますからいいのですが、得られる利益についてはどうなのでしょう。
自分は試合が終わった後の両陣営を含めた感想戦が好きです。笑いあいながら、あの局面では迷った、~とするべきだった、~とした相手の判断がよかった等々。
こうして楽しめて次につながる関係を構築することのほうを良しとしているのですが、「ゲームで勝つこと」を目的としている方々は何を得られるのでしょうか。
人狼ゲームで勝ってもお金をもらえるケースはほとんどありませんし、空気を悪くするか、他の人たちの居心地を悪くするかではないのでしょうか。
と、いうところまで進みました。
『事件現場清掃人が行く』 高江洲敦
「最近、虫が増えた?隣室のご遺体からのサインかもしれません」
いわゆる、世で言われるところの「事故物件」が綺麗になる前にどうなっているかということについて、事件現場清掃を担当している高江洲敦氏の本。
感想としては、実際の仕事内容に興味が湧き、また遺体、遺族などに関わる立場にいることからか、とても慎重に言葉を選ばれているといった印象。本人の誠実な人柄が文章の行間から滲み出してきている。
特殊清掃という仕事自体にも興味をそそられたが、何よりも今、孤独死が増えているということに対して氏が警鐘を鳴らしていることに共感した。
現在、なんとなく人と人のつながりが希薄になってきており、生きていこうと思えば一人でも生きていけるが、いざ自分が一人になって病や怪我を患った時に助けてくれる知り合いはどれくらいいるだろうか。こと自分を例にとって考えてみると怖い気がした。
自殺者の部屋は凄惨である。遺体は筋肉が弛緩しているため、糞尿がもれており、さらに時間が経てば経つほど状態が悪化するらしい。
そのため、数か月も発見されなかった遺体は損傷が著しく、体液が漏れ出してアパートなどの場合、その下の階の天井まで到達するらしい。
そのような環境の中でも氏は「ご安心ください。血も体液も、私がきれいに後始末をしましょう」と、プロ意識をもって死者の後片づけを担当している。
また、氏の仕事の一環として後天的に片付けが苦手になってしまった風俗嬢たちの部屋を片付けることもあるらしく、そこでの記述も興味深かった。
181~182頁『しかし、可愛がることと動物を飼育することは別で、彼女たちは餌を与えても汚れた皿を洗わず、散歩にも行かず、犬のフンまでそのままにしているのです。私が見た部屋には、ドッグフードと犬のフンが同じようにあたりに転がり、かわいらしい子犬は不思議そうな顔をして、掃除をしている私を見つめていました。おそらくこの子犬は生まれてはじめて、掃除をする人間の姿を見ていたのだと思われます。』
追記します
『傷だらけの果実』
新堂冬樹という作家の作品が好きです。いわゆる大衆受けを狙ったエンターテイメント系作品が目立つのですが、何か本を読みたい時や、電車の中で時間を忘れて読むのに打ってつけ。
この著者は、ファンからは「黒新堂」と「白新堂」という分け方をされていて、主に黒の作品はエログロ、凄惨な描写が多く、刺激的で大衆向け。白新堂が、まさかあれだけ作中でか弱い人々を拷問にかけて残虐に殺していった新堂氏が書いたとは思えない程ピュアで心温まる作品が多い。
今回の作品はその中間「灰色新堂」とでもいうべきものかと思った。
粗筋としては、ディレクターを目指していた早徳大学の裕二が、ある日歌舞伎町でホストや連れの女性に容姿について罵詈雑言を吐かれて泣きじゃくっている菊地緑に声をかける。
「50万用意しろ。そしたら俺がお前を変えてやる」といい、目の整形手術を受けさせたのを皮切りに、鼻などにも手を入れさせていった。
それを邪魔する大学のクラスメイトや、緑の父親、芸能プロダクションのマネージャーたち。それを二人で乗り越えていくものの、裕二は当初からある決心をしていた。それは、どれだけ長い時間ともにいようとも、彼女を”女”としては見ないということだ。
「ゆうちゃんにとって私はなんなの?」
「・・・・商品だ」
と、この受け答えが作中で何回かされている。
しかし、最後になって裕二が緑に対して
「芸能人が歯並びを整えるのは当然だ。八重歯は邪魔になるから抜いてこい」
といってから緑の行方がわからなくなる。お互い気づかないうちに「商品」として扱われることが堪えられなくなっていたのだ。
ラストは心温まるといえば、そうかもしれない。
作中に出てくるマネージャーが陰険で、こういう人がいたら関わりたくないなぁ。
女優になるには、エステサロンなどに投資しなければならないかと思っていたが、235頁『一日の飲食物をメモに取り、カロリー表をつける。摂取カロリーを一日千三百カロリー以内に抑える。炭水化物は白米のみで、パスタ類やパン類は吸収し過ぎて脂肪がつきやすくなるので摂らない。店ではアルコールはもちろん、炭酸飲料は飲まずにウーロン茶だけにする。起床したら五キロのウォーキングをする。裕二がネットや書籍で調べた結果、エステティックサロンなどに頼らずとも日常生活においての食事管理とウォーキングを規則正しく続けていれば、個人差はあるが三カ月で十キロは落とせるらしい。
最終的にエステティックサロンに行くとしても、事前に自主ダイエットをしているのといないのとでは、効果が出るスピードに雲泥の差があるという。」と。これらが行われている描写があってもよかったかもしれない。
また、どのような人物が女優に相応しいのかということについて、
84頁『なぜなら、数百から数千のタレント達と接してきた百戦錬磨の監督やプロデューサーを魅了するほどの女の子は、自己というものをしっかり持っている。決して、周囲の人々の意見や環境に流されない強い意志の持ち主だけが、「選ばれし者」になるのだ』と。
これは整形を扱った話でもあるんので、関連本でもある『アンチエイジング』の方も読んでみたい。